劇団わらび座の民事再生について思うこと

11月2日、秋田を拠点に活動している劇団わらび座の運営会社が民事再生を開始した、というニュースが入ってきました。舞台芸術関係者の間でも大きな話題です。

劇団わらび座といえば、運営70年を超える老舗劇団で、秋田県仙北市には自前でわらび劇場という劇場施設も持っています。舞台芸術産業は、人口が多く観劇マーケットがある都市圏でないと成り立たないという一般常識を覆し、田んぼの真ん中で舞台芸術活動を70年ものあいだ続けていることは特筆に値します。

彼らのビジネスモデルは、とても参考になります。

感覚的にもお分かりいただけると思いますが、舞台芸術産業はそもそも儲かるビジネスではありません。一公演あたりの売上は、「チケット代×客席数」というとても簡単な計算式で決まってしまいます。
この計算式に出てくる「客席数」を考えてみましょう。演劇を見るのに適した客席数には限界があり、一公演あたりキャパシティ1,000程度が上限値です。(マイクを使用するミュージカルですともう少し大きなキャパシティはあり得ますが。)
そうすると、利益を出すためには、費用を抑えるしかありません。ですが、これも難儀なことです。というのは、演劇の費用の多くは人件費が占めているからです。ロングラン公演をすることで、一作品にかかる制作コストを抑え、利益を確保するという手が王道ではありますが、それでも映画などの別のエンターテイメントに比較して考えても、削るのに限度のある人件費の占める割合が高いのです。その結果、演劇人の報酬は抑えられがちになり、いわゆる「貧乏役者」が世の中に多数発生することになります。
歴史的に見ると、例えば演劇のライバルである映画産業は、テクノロジーの進化により制作コストを下げていくことや販路拡大が可能でした。しかし、演劇にはテクノロジーの進化が収支改善に寄与していません。なぜならば演劇制作は結局 人間の手作業によるものだからです。むしろ時代を経るごとに、ライバル業態の作品が低コストで制作されるようになるのに、演劇だけは高コストのままとなり、競争力を失っています。

さて、そんな舞台芸術産業の基本構造があるわけですが、わらび座はこの構造から脱却すべく、様々な取り組みをおこなってきました。
秋田県仙北市にある劇団わらび座のわらび劇場の隣には、温泉施設・宿泊施設が完備されています。これは、わらび座へ観劇に訪れた客に、観劇以外の目的でも滞在してもらって売上をあげていこうという作戦です。特に宿泊施設というのは客単価をあげるには絶好の商材ですので、こういった施設による利益確保を狙ったわけです。
さらに、この宿泊施設も利用して、修学旅行客の招致を積極的におこなっていました。記者会見によれば、北海道、岩手、宮城などの近隣県を中心とした各地域から、年間約150校15,000人の修学旅行客を集めていたそうです。修学旅行の子どもたちに宿泊してもらい、演劇も見てもらい、さらにはわらび座の劇団員と一緒に芸能体験をするメニューを用意するなどして、ここでも売上を作っていました。

いわば、チケット代収入だけでは儲かるはずがない演劇事業を、なんとか継続していくために別の商材を売り出し、演劇の赤字を補填してきたのです。

しかし、そんな苦肉の取組も、昨年から続く新型コロナウイルスの影響により狂いが生じます。売上のメインを占める修学旅行客の来客が、コロナを理由に続々とキャンセルになってしまったのです。そしてついに、負債14億円を抱えて民事再生の申請となったのです。

今後は、劇団事業をはじめすべての事業を、これまでの株式会社から、新たに設立された一般社団法人に譲渡し、その一般社団法人で事業継続していく意向とのことです。
今後ももともと収益性の見込めない演劇事業を続けていくためには、チケット代収入以外の収益源を見つけるしかありません。しかし新たなビジネス展開は容易ではありません。そこで、一般社団法人に移行し、非営利法人であることを明確に打ち出し、寄付や公的支援を受けやすくしようという狙いだと考えられます。

民事再生にあたっての記者会見では、今後の事業再生プランも発表されました。その中には、劇場のネーミングライツ権の販売といった新たな売上確保のプランも含まれています。しかしこれらは、クライアントから広告宣伝費として受け取ろうという性質のものではなく、寄付の意味合いが多分に強いものだと考えられます。
実際に、民事再生の記者会見には、「応援団」的立場で秋田商工会議所の会頭が同席されていましたし、仙北市長も同席されていました。こういった場に、債権者でもスポンサーでも新旧経営陣でもない方が同席されるというのは珍しいと思います。わらび座が、ビジネスという枠を超えて、地域の人たちから愛され必要とされている証拠でしょう。
チケット代を払う人がわらび座を支えるのだけではなくて、寄付のようなチケット代以外の手段で応援する人たちからも、わらび座は支えられていくことになるのでしょう。いわばもはや民間ビジネスを超えた、公共財としてのわらび座なのです。

じつは私も今年、プライベートでわらび座に演劇を見にいきました。
コロナのせいでしばらく舞台芸術を生で見る機会に飢えていたこともあり、わらび座の劇場で体験した久々の観劇は、想像以上に感動的でした。それを言葉で語ることほど陳腐なこともないとは思うのですが、「人が歌ったり踊ったりする姿を至近距離で感じられる演劇は、最近はやりのオンライン会議では得られない絶対的な体験だ!」と思ったわけです。

弊社の社名がシェイクスピアから引用しているということもあってか、弊社では芸術系のお仕事に携わらせていただく機会がよくあります。しかしその中では、民間のビジネスの論理で考えてしまうとどうやっても利益が生み出せず詰んでしまう、というケースにもよく出会います。
収益性だけを考えれば、「芸術のような儲からないものはさっさと辞めてしまえ」という結論になるのですが、かといってわざわざその儲からない事業を続けようと考える人がいるのは、そこに何かしらの社会的意義があるからです。
その社会的意義を、どこかの一人の金持ちが理解してくれたら、ぽーんとお金を出してくれてしばらく芸術事業も継続できるのですが、そんなケースは稀です。
これからの時代は、一人の金持ちではなくひとりひとりのステイクホルダーに、その事業の社会性を訴えていく必要があります。
わらび座の民事再生と、今後わらび座が目指すであろう非営利モデルは、全国で同様の課題を抱える芸術系団体・施設の目指すべき姿と重なりそうです。

(青木)