今年4月19日、71年の歴史を持つ俳優座劇場が閉館しました。その後、俳優座劇場の跡地に、吉本興業が「YOSHIMOTO ROPPONGI THEATER」という新しい劇場を作る計画を発表しました。
このニュースに対して、「俳優座劇場が吉本興業に渡るなんて許せない」という怒りや悲しみの声がSNSで広がりました。さらに、吉本興業の新劇場オープンに反対する署名活動を始めようという動きも出てきています。
私自身も俳優座劇場で何度も演劇を観た経験がありますが、今回の問題の背景には、「伝統的な文化を守りたい」という思いと、「新しい時代に合わせて挑戦したい」という考え方の対立があるように思います。そして、「劇場は誰のための場所なのか?」という根本的な問いも隠れているのではないでしょうか。
俳優座劇場の偉大さを振り返る
戦後の演劇を支えた場所
1954年に開館した俳優座劇場は、単に演劇を上演する場所ではなく、文学や芸術の実験の場でもあったと聞き及びます。たとえば、三島由紀夫の「近代能楽集」やシェイクスピアの翻訳劇など、芸術性の高い作品が次々と生まれました。70年間、たくさんの演劇が上演され、多くの人に愛されてきた劇場だったのです。
複雑な組織の関係を整理する
俳優座という劇団自体は、老舗の劇団であり、劇場の閉館は劇団にとっても大きな痛手です。ただし、注意が必要なのは、劇場を運営していた「株式会社俳優座劇場」と、演劇を制作していた「有限会社劇団俳優座」は別の法人だということです。簡単に言えば、劇場の建物を管理していた会社が劇場を閉めたのであり、劇団そのものは今も活動を続けています。たとえば、三軒茶屋のシアタートラムなどで公演を行っています。
この違いが知られていないため、「俳優座が完全になくなる」と誤解している人も少なくないようです。さらに言うと、「株式会社俳優座劇場」自体も会社としては残っています。あくまで、運営していた俳優座劇場という施設が閉館した、という話なのです。
ビジネスの観点で見れば、儲からない事業から撤退し、得意な分野に集中するのは自然な流れです。つまり、株式会社俳優座劇場が劇場部門を縮小し、舞台美術(大道具)部門に力を入れる方針を取った結果が、今回の閉館に繋がったのだと思われます。
(ちなみに、株式会社俳優座劇場の舞台美術部門はとても活発で、舞台や映像作品の大道具制作を多く手がけています。求人サイトによると、従業員は146名もいるそうです。少し脱線しますが、「明治座舞台株式会社」という会社が、明治座だけでなく東京芸術劇場の小屋付きを担当しているように、劇場名を冠した企業が広く業務を行っている例は珍しくありません。)
吉本興業への批判について考える
反対運動の中に潜む「見えない偏見」
俳優座劇場跡地が吉本興業に渡ることに反対する人たちの一番の不安は、「お笑い中心の劇場になり、これまでのような質の高い演劇が観られなくなるのでは」という点でしょう。 確かに、吉本興業といえばテレビのバラエティや漫才をイメージする人が多いかもしれません。しかし、吉本興業の舞台が多くの人に支持されているのも事実です。 もちろん、文化の成熟度を観客数だけで測ることには慎重になるべきですが、吉本興業の新劇場オープンが俳優座劇場閉館に比べて劣っているとは、一概に言えないはずです。 むしろ、「吉本興業のお笑いは演劇より格下だ」というような考え方が、無意識に批判の中に混ざっているようにも感じます。
俳優座劇場に思い入れがある人たちが「自分たちの大切な記憶を守りたい」と願うのは自然なことですが、それだけではただの自己中心的な要求に見えてしまうかもしれません。
行政にできること、できないこと
一部では、署名を集めて文化庁や港区などの行政に俳優座劇場の保護を求める動きもあります。しかし、民間企業同士の契約によって吉本興業に施設の使用権が渡ったのであれば、行政が介入するのは現実的に難しいでしょう。
(ただし、登記簿を確認しないと、建物を吉本興業が所有するのか、第三者が所有して吉本興業に貸すスキームになっているのかは正確にはわかりません。第三者を通した所有権譲渡や賃貸の場合には、株式会社俳優座劇場と吉本興業との間で直接の契約が存在しないということも十分に考えられます。)
仮に、行政が建物を買い取って公共施設にするという選択肢があったとしても、納税者に「なぜ俳優座劇場を公共施設にするのか」を納得してもらうのはかなり大変だと考えられます。特に、これまで俳優座劇場がターゲットにしてきたのは「演劇好きな人たち」が中心だったため、「一部の人たちのための施設」と見られてしまう可能性が高いでしょう。公共の支援を求めるには、単なるノスタルジー以上の説得力が必要です。
さらに、港区では間もなく浜松町にみなと芸術センターが開設される予定もあり、港区ではタイミング的にも難しいでしょう。
(なお、俳優座劇場が全く公共性がなかったというわけではありません。弊社に近いところでいうと、たとえば、高校生が俳優座劇場の舞台を使って演劇をする「はいすくーるドラマすぺしゃる」という取り組みもあり、舞台スタッフが先生たちと交流しながら支えてくれていました。このように教育的な役割も果たしていました。)
まとめ
文化施設の本当の価値は、「過去を守ること」だけでなく、「未来へ橋をかけること」にあります。吉本興業の新劇場を脅威と捉えるのではなく、文化が進化するきっかけと考え、多様な表現が共存する新しい文化の場をつくっていく姿勢が、今の時代には求められているのではないでしょうか。劇場という場所は消えても、そこで育まれた芸術の精神は、形を変えて受け継がれていくべきだと思います。
(文責:青木)