DIC川村記念美術館閉館から考える民間企業による美術館運営のジレンマ

DIC川村記念美術館がまもなく閉館します。民間の美術館とのお仕事もしている弊社としては他人事ではないこのニュースを受け、DIC川村記念美術館に私も最近訪問しました。多くの来館者で賑わっている光景は、いわゆる駆け込み需要によるもので、美術館に普段足を運ばない層の姿も見られました。この風景は、皮肉にも美術館の潜在的な裾野の広さを示しているようでした。

DIC川村記念美術館閉館が問う、企業経営と文化資産のジレンマ

DIC川村記念美術館は、大手化学メーカーDICが運営する美術館で、戦後のアメリカ美術などを多数所蔵しています。千葉県佐倉市という都心からのアクセスが不便な立地ながら、美術ファンの間では高く評価されていました。しかし、社外取締役を通して株主(オアシス)からの指摘を受け、2025年3月末をもって閉館することが決定しました。

オアシスの主張は、「本業と関係のない美術品を保有し続けるのではなく、売却して株主に還元するか、本業への投資に回すべきだ」というものです。オアシスの資料によれば、美術館の運営によって「近年は毎年10億円弱の赤字が発生しており、企業価値向上への貢献が明確ではない」と指摘されています。

企業経営の観点からすれば、収益を生まないばかりか赤字を計上する美術館の運営に対し、株主が売却を求めるのは自然な流れとも言えます。DICの2024年度の決算では営業利益が445億円。これに対し、10億円の赤字を「微々たるもの」と見るか「無視できない損失」と見るかは意見が分かれるところです。

美術館がDICの企業価値向上に寄与していれば、赤字であっても一定の意義は認められます。例えば、三菱地所や三井不動産が丸の内や日比谷でアートイベントを開催するのは、街の魅力向上を通じて自社の資産価値を高める狙いがあるためです。しかし、DIC川村記念美術館の存在がDICの製品価値向上に直接寄与しているとは言い難く、赤字を正当化する論拠としては弱いと言わざるを得ません。

一方で、美術ファンの間では閉館に対する反対の声も根強く、「あれほど素晴らしい美術館を閉館するのは惜しい」という意見が多く見られます。有志による署名活動も行われ、DIC川村記念美術館の存続を求める動きが続いています。

企業メセナの観点から見ると、DICの美術館運営は社会貢献活動の一環とも言えます。日本には「経団連1%クラブ」のように、企業利益の一部を社会貢献活動に拠出する仕組みも存在します。閉館に反対する人々は、DICの美術館運営をこうした社会的責任の一環と捉えているのかもしれません。

美術館閉鎖の波紋──株主圧力vs文化継承

オアシスの指摘は赤字だけにとどまりません。彼らは「美術品の価値を適切に活用すべきだ」とも主張しています。DICが公表する美術品の簿価は112億円ですが、報道によると時価は1,000億円~2,600億円と推定されています。オアシスの立場からすれば、「資産価値の高い美術品を保持するより売却してキャッシュ化すべきだ」という短期的視点が働くのは当然と言えます。

DICの時価総額は約3,000億円であり、美術品の時価が最大2,600億円とされることを考えると、「DICの価値の大半は美術品にある」とも言える状況です。この点も株主の圧力を強める要因になっています。

財団法人化の重要性

DIC川村記念美術館の閉館問題を考えると、財団法人化の重要性が浮き彫りになります。例えば、DIC川村記念美術館と同じように民間の美術館であるポーラ美術館やSOMPO美術館は、それぞれ公益財団法人が運営し、企業が直接運営しているわけではありません。財団法人が運営することで、株主の影響を受けずに安定した運営が可能になります。

DIC川村記念美術館も財団法人化されていれば、株主の圧力を受けることなく運営を継続できたかもしれません。過去に財団法人化を検討しなかったDIC経営陣の判断は、美術館存続の観点から見れば大きな失策だったと言えます。
なお、DICの株主(オアシス)は、美術品の売却だけでなく、DICの創業家である川村家のメンバーが社内で優遇されているのではないかという点についても指摘しています。この点で参考になるのが荏原製作所です。荏原製作所の創業家である畠山家は、公益財団法人荏原畠山記念文化財団を設立し、畠山美術館を運営しています。美術館の名称が「荏原美術館」ではなく「畠山美術館」となっている点も興味深く、個人名を前面に押し出した潔さを感じます。
ちなみに、畠山美術館は昨年リニューアルされ、館内も美しくなりました。私もリニューアル直後に訪れましたが、畠山家の「俺の」美術館という雰囲気が強く伝わってくる、魅力的な美術館でした。荏原製作所の株主に配慮する必要が一切なく、自由に運営できる点も特徴的です。

DIC川村記念美術館の資産価値を検証

オアシスが美術品の売却を求める背景には、「美術品を売却すれば莫大な資金を得られる」という前提があります。しかし、本当に1,000億円~2,600億円の市場価値があるのかは、個人的には慎重に考える必要があるのではないかと考えます。

確かに、モネやルノアールなどの有名作家の作品は市場で高く評価されるでしょうが、1950~80年代の戦後アメリカ美術が果たして同程度の価値を持つかは疑問です。特に市場の動向次第では、高額な取引が成立しない可能性もあります。

DIC自身も2025年3月14日の「ISS社レポートに対する当社の見解について」で、美術品の時価1,000億円~2,600億円という推測に明確な根拠が示されていないことを指摘しています。その意味で、(オアシスの提案に反対する形で)DICが発表している、2025年中に美術品の3/4を売却し、100億円のキャッシュインを目指すというのは、金額的に保守的にも感じますがあり得る数字なんだろうなと思います。一方でその美術品の3/4売却には、かの有名なロスコ作品は含まれていないとのことですので、株主(オアシス)としては、それを売らずにどうするんだ(はやく売れ!)という感覚でしょう。

まとめ

美術ファンにとってDIC川村記念美術館の閉館は残念な出来事であり、外資ファンドによる美術品売却の流れには感情的な反発もあります。しかし、株主であるオアシスの主張を冷静に読むと、彼らは上場企業の経営健全化と株主利益の最大化を求めており、決して無理筋な要求をしているわけではないと思います。

むしろ、企業として毎年10億円の赤字を抱えながら美術館運営を継続すること自体が特例的なケースであり、今回の閉館決定も経済合理性の観点からは理解できる側面があります。ただし、DICがこれまで財団法人化を選択せず、最終的に美術館の閉館という決断に至った点については、企業の文化資産のあり方として再考の余地があるでしょう。

本件に関してオアシスを悪く言ってもどうしようもなく、今後の焦点は、美術品の価値がどのように評価され、どのように扱われるかです。オアシスが懸念していることだとも思いますが、かっこ書きの「アート村」の人間関係に巻き取られ、美術品の価値が有耶無耶にされることがないように見守る必要はあります。一点ものである美術品の市場評価は変動しやすく、専門家の判断に左右される側面があります。資産価値の透明性を確保しつつ、文化財としての保全とのバランスをどう取るのかが問われています。そして、文化と経営のバランスをどのように取るかは、今後の企業メセナの在り方を考える上で重要な課題となるでしょう。

弊社としてもアート業界と関わる機会は多くありますが、企業の事業継続や経営合理性に寄与することを重視し、アートファンの感情的な声に流されずに本質的な価値を見極めながら仕事をしていきたいと考えています。

(文責:青木)

参考: